子供は遠くに行った 乙一 ■■1■■  あわただしく立ち去ってしまったので、私は片付けをしてきませんでした。生まれて初めてのお手紙がこのような形になってしまい申し訳なく思っています。こうしてだれかに手紙を書くのはひさしぶりのことです。普段、携帯電話で電子メールを送ることはありましたが、便箋《びんせん》に文字を書いて思いを伝えるということはしてきませんでした。お母さんに対してあらためて手紙を書くのは、なんだか気恥ずかしいものですね。  仕事から戻ってきたお母さんが郵便受けを覗《のぞ》いて、差出人に私の名前が書いてある封筒を見つけたときのことを想像します。だれかの悪戯《いたずら》だと思って、お母さんは怒り出すのでしょうか。それとも、困惑してお父さんや詩織《しおり》に相談するのでしょうか。お母さんの性格を考えると、もしかしたら、だれにも話さずに自分一人で処理をしようとするかもしれませんね。本当にお母さんと私は似たもの同士なんですから。  私が故郷を離れて東京に住みはじめたのは、今年になってすぐの一月のはじめのことでしたね。東京で暮らしていたのはたったの二ヶ月間でしたが、これまでのじんせいでそんなにも長い間、家族と離れたことはあいませんでした。子供のころ、お母さんと別れて生活するなんて想像もしなかったのに。  手紙の文面を考えていると、子供だったころを思い出します。西日の差し込む六畳間でお昼寝をしていたときのことです。私が目を覚ますと、いつのまにかお母さんが添い寝をしてくださっていましたね。あのときほど私は、何かに守られているという安らかな気持ちになったことはありません。  それなのに私は、お母さんを故郷に残して東京へ出てしまいました。その上、このことを知ったら悲しむかもしれませんが、上京してからの二ヶ月間、私は家族の顔を思い出しませんでした。詩織とは電話で話をしていましたが、そのときも故郷への感傷はありませんでした。  お母さんは、東京での私の生活ぶりを、すでに詩織から聞いてしまっているのでしょうか。たとえもう知っていたとしても、私は自分の言葉でお母さんに説明しなければいけません。実際にお会いして話ができたらどんなに良いのでしょうか。しかし今の私には、こうしてお手紙を出す以外に気持ちを伝えることができないのです。  東京で使っていた私の部屋は、今頃、どうなっているのでしょうか。上京したときにそろえた家具や、育てていた観葉植物は、すでに片付けられているのでしょうか。もっとも植物の方は、最後に見たとき、しおれてしまっていました。最後の一週間、私は植物のことを考える精神的な余裕がなくなっていました。 「東京でやりたいことがあるから家を出ます」  私がそう話したときの、お父さんの激昂《げっこう》はすさまじいものでしたね。家族の歴史の中で、お父さんが意見を曲げられたことは一度としてありませんでした。怒鳴《どな》りつれば私が考えを改めるのだと、お父さんは信じていたのでしょう。結局、半年という期限つきでお父さんが許可してくれなかったら、私は上京をあきらめていたかもしれません。  東京でオーディションを受けて女優になるのだと、お母さんやお父さんには説明しましたね。  本当の理由は別にありました。でも、その話をする前に、当時、私に彼女がいたことを説明しなければいけません。  寺内《寺内》さんは高校での私の先輩でした。その当時、彼は男子バスケットボール部に所属していたので、女子バスケット部だった私は彼のことをよく知っていました。私が足をつってふくらはぎを押さえていたとき、介抱してくださったのが寺内さんでした。  高校を卒業して書店のアルバイトをしているとき、彼が客としてレジに並びました。寺内さんは私の顔を覚えてくださっていました。話しかけられて、実は私のことが好きだったのだと告白されたとき、私は幸福感で頭がくらくらしました。  翌日から私たちの交際が始まりました。お母さんに黙っていたのは、お父さんに話が伝わるのを恐れていたからでした。男の子とつきあっているということをお父さんが知ったら、厳格なあの人は何と言うでしょう。  家族の中で寺内さんのことを知っているのは詩織だけでした。詩織にだけは寺内さんの写真を見せましたし、彼が警備員のバイトをしていることや、バンド活動していることなども話しました。  彼の夢はミュージシャンになることでした。寺内さんには作曲の才能があり、いつか東京に進出したいという気持ちはうかがっていました。  本格的な音楽活動をするために寺内さんが上京したのは十二月一日のことでした。彼が新幹線に乗って行ってしまうとき、冷たい風の吹くホームの上で私は大泣きしました。まるで自分の半身が失われてしまったような気がしました。  お母さんは今、不思議に思っていることでしょう。寺内さんが東京にいるのなら、私が上京したとき、なぜ彼の部屋で同棲《どうせい》しなかったのかと。  彼が上京して三週間ほど経過したとき、毎日やりとりしているメールから、よそよそしさを感じるようになりました。といっても、明確な変化があったわけではありません。いつからそうだったのかもわかりません。確証があったというよりも、それは直感でした。  直接、問いただす勇気が私にはありませんでした。彼の心を知るよい方法がないものだろうか。私はそのことばかり考えました。その時期、私はある理由から寺内さんの心を知る必要性に迫られていました。結局は、その事が私の背中を後押ししたのでしょう。私は次のように考えました。  そうだ、寺内さんに内緒でも私も上京しよう。そして彼が他の女性とつきあっているのかどうかを物陰からこっそり確かめてやる。恥ずかしいことに、当時の私にはそれがすぐにでも実行へ移すべき素敵なアイデアに思えてなりませんでした。  つまり、私の上京は彼に内緒だったのです。女優になるための上京というのは嘘でしたが、皮肉なことに私の東京での生活は演技だらけのものになりました。  お母さん、詳細は次の手紙で書きます。上京の理由を偽《いつわ》っていてごめんなさい。 ■■2■■  お母さん、返事をくださって、ありがとうございました。お母さんから手紙が届くなんて、私は思ってもいませんでした。封筒のあて先は、私の住んでいた場所になっていましたね。私はもうそこにはいないのに、お母さんからの手紙が手元へ届いたのは、不思議なことのように思えます。  お母さんは手紙の中に、「いたずらはやめてください」と書いていましたね。私は本当に友人のだれかが私になりすましているのではないかと考えるのも当然です。  私がお母さんの娘であることを証明するためには、どうしたら良いのでしょうか。私とお母さんしか知らないことを手紙に書いたら、信じてくださるのでしょうか。  たとえば、折り曲げられたテレホンカードのこと。  裏庭に隠したおもちゃの海賊船のこと。  泥まみれの制服のこと。  私は泣きはらした顔で、みんなには黙っていてとお母さんに頼みました。私とお母さんで共有しているこれらの思い出が、手紙の書き手である私とお母さんをつないでくれたらと思います。  ところで、返事の文面から推測すると、不順な上京の動機に関しては、私が書くまでもなく詩織から聞かされていたようですね。  でも、詩織にさえだまっていたことがもうひとつあります。それは私の罪に関することです。お母さん、私は一人の人間の命を奪ってしまいました。  上京した日のことを書きましょう。  一月の第一週目、新幹線を降りて東京駅のホームに立ったとき、砂漠へ放り出されたような不安を感じました。東京へ行くのは初めてではありませんでしたが、自分がその場所に住むなどとは思いもしませんでした。  私は一生、故郷の土地でアルバイトをしながら過ごすのだろうということを、高校を卒業した段階では思っていました。  荷物を段ボール箱から出すよりも先に、私は寺内さんの住んでいる町の最寄り駅へ出かけました。故郷ではお母さんの運転する軽自動車によく乗せてもらいましたが、東京での移動はすべて電車でした。東京では路線や駅ごとに町の性格がありました寺内さんの最寄り駅は中央線にあり、後に人から聞いた話によると、そこはクリエイターが多く住んでいる地域だそうです。  私の上京を知られてはならないので、道端ですれ違わないことを祈りながら、寺内さんの住むアパートを探しました。彼が住んでいたのは旧《ふる》い木造アパートの二階でした。しかし建物と部屋の扉を確認した時点で、私は怖くなり、逃げてしまいました。私には、郵便受けを覗いたり、窓を観察したりといった行動をとる勇気がありませんでした。  寺内さんの姿を見ることができたのは上京して三日目のことでした。彼が花屋でバイトしていることはメールで知っていたので、その日、私は双眼鏡を購入して店に向かいました。見られても私だと気づかれないように、故郷にいるときは着なかったような色を服を選びました。  幸いにその花屋は人通りの多い場所にあり、私が遠くから見ていても、簡単には見つからないはずでした。道を挟んだ向かい側に雰囲気の良い喫茶店がありました。私は店に入ると窓際の席に腰掛けて双眼鏡をかまえました。その店の店長は、おかしなやつがきたという顔で私を見ていました。  花屋のエプロンを着た寺内さんが、赤い花の鉢を抱えて視界の中に現れました。私は思わず泣き出してしまい、心配した喫茶店の店長が涙を拭くための新しいお手拭《てふき》をくださいました。 「こんにちは、今、何をしていますか? 東京はどんな天気ですか?」  私はその場で彼の携帯電話にメールを打ちました。送信してすぐに、双眼鏡の中の彼がポケットから携帯電話を取り出しました。幸いに客のいない時間だったらしく、彼は色とりどりの花が飾られている前でメールの返事を打ち始めました。 「東京は晴れです。仕事中。沙耶さんは何をしていますか?」  私の携帯電話に送信されてきたメールには、そう書いてありました。私は彼に返事を出しました。 「さっきまで居眠りしていました。いい夢を見ましたよ。私と寺内さんと、かわいらしい小さな女の子が、三人で公園で遊んでいる夢です。」  上京してすぐに私は仕事を探しました。最初のバイト先は下北沢のコンビニエンスストアでしたが、そこには舞台小屋が集まっており、役者になるため上京した人々によく会いました。  当然、上京したことが悟られないように、寺内さんとは普段とかわらないメールのやり取りを続けていました。内容はいつも他愛のないことでしたが、東京に来ていることを隠しながらの文書作成は大変なことでした。  たとえばメールを書く前に、天気情報を必ずチェックしなければいけませんでした。今日は公園のベンチで読書をしました、とメールに書いたとき、もしも故郷で雨が降っていたとしたら寺内さんに不審がられてしまいます。  故郷でしかやっていないテレビ番組ことで質問をうけたときも苦労しました。実家の詩織に番組を録画してもらい、ビデオテープを宅配便で送ってもらいました。私は速攻でビデオを見て、その感想をメールに書きました。  詩織にはほかにも面倒ごとを依頼しました。寺内さんが、メールで故郷の風景画像を添付して送って欲しいと私に言ったときです。故郷の田園風景を詩織の携帯電話のカメラで撮影してもらい、その画像を私のアドレスに送ってもらいました。次に私が寺内さんのアドレスに画像を送りました。もらった画像を見て寺内さんは、私が故郷にいるのだと思ったはずです。  一度だけ、上京しているのがばれそうになりました。それは私が山手線のホームいるときのことでした。  私の持っていた携帯電話に、寺内さんから電話がかかってきました。通話を始めてしばらくしたとき、ホームで流れるお馴染みのメロディとアナウンスが私の真上にあったスピーカーから流れてきました。寺内さんは一瞬、会話を中断しました。訝《いぶか》っているような気配を沈黙から感じました。 「今、どこにいるんですか?」  寺内さんは聞きました。 「家でドラマを見てます」  私が誤魔化《ごまか》すと、寺内さんは納得したのか、それ以上、何も質問してきませんでした。  私が上京したのは、寺内さんが心変わりしたのかどうかを確かめるためでした。  結局、彼が他の女性と話している場面を私は見ませんでした。  寺内さんは花屋のバイトを終えると、時折、東京で組んだバンドの方と練習を積んでいました。練習を行っているスタジオのそばで、彼がメンバーと歩いている様子を何度か見ることができました。  メンバーが女性の友達をつれてきているときがありました。スタジオに入るとき、彼女たちの一人が寺内さんの腕に自分の腕を絡《から》ませようとしました。寺内さんはそれをやんわりと断りました。私はその瞬間を植え込みの陰にしゃがんで見ていました。その日、私は安堵するとともに、体の奥から食欲がわいてきたので、アパートに戻って巨大なオムレツを作って食べました。  メールによそよそしさの断片を感じたのは、勘違いだったのかもしれない。  双眼鏡で彼の姿を覗いているうちに、私はそう思えるようになりました。  しかし残念ながら私の直感は当たっていました。もしも彼が、私のことをずっと好きでいてくれたなら、どんなに良かったでしょう。  寺内さんが花屋で働いているとき、何度か店の横の細い路地へ引っ込むということがありました。そこに移動されると喫茶店の窓際の席から見えなくなりましたが、おそらくゴミか何かを捨てているのだろうと思い気にしませんでした。  上京して一ヶ月後、二月はじめることでした。  そのに、私はバイトを休んで、寺内さんの行動を監視するために朝から喫茶店で過ごしていました。私は店長にコーヒーを注文して、読書しながらちらちらと花屋の方を振り返りました。  昼過ぎに、店先の花を整えていた彼が、慌《あわ》てたように店の横の路地へ引っ込みました。またゴミ捨てだろうかと思いましたが、彼がポケットに手をあてていたのが気になりました。彼はそのポケットから、いつも携帯電話を取り出していました。私は顔見知りになった喫茶店の店長の代金をツケにしてもらい、店の外へ出ました。  路地を覗き込みました。私の見たものは、電話している寺内さんでした。彼は私のいた場所から意外と近くに立っていましたが、私に気づいた様子はありませんでした。  電話している彼の声が聞こえてきました。生の声を聴くのは、彼が上京した日、駅のホームで交わした別れの挨拶《あいさつ》以来でした。  その声の響きから、彼が電話の相手と恋愛関係を結んでいるらしいと確信しました。そしてまた追い討ちをかけるように、彼は電話の相手に対して自分の気持ちを伝えていました。そのときの彼の表情は、恋人と話をするときのものでした。  私はその場から逃げました。  手紙を書いていると、そのときのことを思い出して悲しくなります。私の体は、すでにどこにも存在しないというのに、どうしてこんなに胸がつらくなってくるのでしょう。 ■■3■■  お母さんへ。  二通目の返事も無事に届いています。まずは前回と同じように、そのことへの感謝を書きたいと思います。私宛に手紙をくださって、本当にありがとうございました。  私はお母さんの娘、山本《やまもと》沙耶です。その主張をいくら重ねても信じてもらえないのではないかという危惧《きぐ》が私にはありました。でも、私が友人ではなく、沙耶本人であると確信してくださいましたね。  お母さんが手紙に書いたとおり、私からの手紙が故郷の実家へ届くなど、ありうる話しではありません。この不思議な現実への驚きを、お手紙の端々《はしばし》から感じ取ることができました。  でも、私は自分の手紙が、必ずお母さんに届けられるような気がしていました。郵便受けの中を確認するのは、いつもお母さんの役目でしたね。だから、私の手紙を最初に見つけられるのはお母さんだろうということもわかっていました。  東京のアパートで私の育てていた植物は、今もまだ枯れずに残っているそうですね。あの植物を東京の部屋から実家の玄関先まで運ぶのは手間がかかったことでしょう。  私がいなくなった後、部屋の片付けをさせてしまい、申し訳ありませんでした。特に、育ててい植物に対して私は罪悪感を抱いています。  上京して一人暮らしを始めた直後、部屋に帰ったときの寂しさが嫌で購入した観葉植物でした。もしもお母さんが実家へ持ち帰ってくれなかったら、植物はどうなっていたのでしょう。  二通目の手紙の続きを、私はこれから書かなければいけません。あのころのことを思い出すと、文章を綴《つづ》るのがつらくなってきます。  他につきあっている彼女がいるとわかっても、私は寺内さんにメールを出し続けました。上京していることは秘密にして、ごはんがおいしかったとか、今日は運動をしたとか、様々な嘘を馬鹿みたいに明るくメールへ書きました。  慎重《しんちょう》にならなければいけませんでした。少しでも気を抜くと、悔しいという気持ちの片鱗がメールの中に混じってしまいそうでした。  私は、次の自分の行動をどうするべきかで悩みました。選択肢はいくつかありました。  1 寺内さんの頬を引っ叩《ぱた》きに行く(それからどうなるのかはわからない)。  2 寺内さんのことは諦《あきら》める(つまり静かに身を引くということ)。  3 知らないままの女を演じ続ける(あらゆることを成り行きにまかせる)。  私のとった行為は、ある意味、もっとの根性の悪いものでした。  私は、寺内さんと電話で話していた彼女が、どんな人なのかを調べようと思ったのです。彼の心を奪った女性とはどのような人なのか、私は興味がありました。顔、名前、住所、それらを調べ上げるための方法を考えました。正直に言えば、私の中には彼女への殺意がありました。  それで寺内さんの姿を見に行くのは、自分のバイトを終わらせてから、バイトのない休日のときに限っていました。  でも、情報収集をすると決めた翌日からは、バイトを休んで彼のところへ行くようになりました。  二月の冷たい朝に、寺内さんのアパートのそばへ行きました。霜《しも》が路面を覆って一面を輝かせていました。空気を吸い込むと肺が凍りつきそうになりました。吐《は》いた息は白くなって空気へ溶けました。私は彼が出てくるのを待って、彼の尾行を開始しました。  ある日は、電車に乗る彼を追いました。別の日は、花屋のバイトから帰るところを追いました。振り返っても気づかれないように、少し距離を置いて歩きました。彼の後をずっと追いかけていれば、いつか電話の相手の家へ行くのではないかと考えていました。  でも、いつも途中で彼の姿を見失ってしまい、彼と彼女がデートする場面を、私は見ることができませんでした。  二月の半ばのことでした。私はその日もコートを着こんで彼の後を追いました。その日、私は勇気を出して、ある実験をしてみました。それは彼の心を推《お》し量《はか》るテストでした。  寺内さんが交差点の信号で立ち止まりました。私は、少し離れた物陰から双眼鏡で観察していました。私は携帯電話を取り出して彼に電話しました。 「寺内さん、今、電話しても大丈夫ですか?」  彼が電話に出ると、私はそう話しかけました。 「いいですよ」  彼は言いました。  その後に続いた会話はいつもどうりの近況報告で、私は故郷での生活を想像しながら説明しました。彼もまた自分の近況を話してくれました。  やがて私は失望しました。双眼鏡の中に見えている彼の表情は、花屋の横の路地で見た顔に比べて、どこかに気持ちが散漫でした。彼が、私との会話よりも、別の女性との会話を楽しんでいるらしいことが判明しました。暗号が青になり彼が歩き始めて、私は追いかけることができませんでした。  私との関係が、彼の中では終わっていました。  その日以降、部屋に閉じこもることが多くなりました。窓を閉め切った部屋の中で、様々なことを考えました。たとえば、彼が花屋の横で電話していたときの相手とは、バンド活動を支援してくれるプロデューサーだったのではないか、だから彼はうれしそうな表情をしていたのではないか。しかし彼は、自分の愛情を言葉にして伝えていました。やはり音楽のプロデューサーなどではありませんでした。  私は彼の電話相手に対して敗北していることを感じていましたが、それまでどうおり寺内さんへメールを出し、動いている姿を花屋まで見に行きました。  未練たらしい行動をしていることは自覚していましたが。東京で他にすることが思い浮かびませんでした。私は、自分が何をしたいのかわからず、精神がぐずぐずになっていました。  上京して二ヶ月が経ち、二月の最終週になりました。その日、私は喫茶店の窓際に座り、コーヒーを注文して花屋の彼を見ていました。そうしながら私は、前の晩に来た彼のメールに対する返事をどうしようかと考えていました。  前の晩に来たメールの内容とは、故郷にある行きつけのレコード店がまだつぶれていないかどうかを確かめてほしい、という他愛のないものでした。  寺内さんは店先に色とりどりの花を並べていました。やがてポケットに手を当てると店の横の路地へ引っ込みました。ひそかにつきあっている女性から電話がかかってきたのだ。そう思うと私は不安定になりました。  彼が他の女性と仲むつまじい話をしているときに自分はレコード店のことを調べなければいけないのだと考えると、自分が惨《みじ》めな人間に思えました。故郷で作った思い出など、東京という巨大な町に放りこまれてしまえば、無いも同然なのだ。私はそう感じて落ち込みました。  でも、それは間違いでした。彼の心変わりに東京など無関係でした。  詩織に電話して故郷のレコード店のことを聞こうとしたら、彼女の電話は話し中でした。何度目かのリダイヤルで詩織の電話につながりました。  同じタイミングで、電話を終えた寺内さんが花屋の店先に戻ってきました。  彼の電話の相手とは詩織だったのだ。私はようやくそのことに気づきました。 ■■4■■  これまでに三通の手紙を出しましたが、今回のもので最後にしたいと思います。私の手紙を読み、返事まで書いてくださって、どうもありがとうございました。  この前いただいたお母さんからの手紙には、詩織のことが書いてありましたね。やっぱりあの子は、寺内さんとのことをお母さんにだまっていたのですね。そうかもしれないとは思っていましたが、私はすでに事実の確認をすることのできないほど遠い場所へ来てしまいました。  お母さんが問いただしたときに見せたという、詩織の涙のことを思うと、私はあの子のことがかわいそうになってしまいます。  もちろんそのような感情は、あれから何ヶ月も経過した今だから言えることであって、二人の関係に気づいた直後ならもっと酷《ひど》い言葉を手紙に書いていたことでしょう。  あの二人がいつ知り合い、どのように関係を深めていったのか、私は結局、知らないままでした。でも、お母さんからいただいた手紙によって、私の中にあった疑問が解消されました。  警備員として働いている寺内さんをあの子が訪ねて行ったのは、たんなる好奇心からだったのでしょう。もしも私が詩織に対して、彼のバイト先や、どんなに素敵かという話をしなければ、今頃、私たちを取り巻く状況は一変していたことでしょう。  詩織と寺内さんとの関係を知ったとき、私は心の一部を失いました。故郷のレコード店について質問するため、詩織に電話をつなげていましたが、怖くなってすぐに切ってしまいました。妹に直接、彼のことを問いただすことができませんでした。  どのようにしてアパートまで帰ってきたのかわかりませんでした。私は気づくと部屋の中にいて、周囲には割れた食器の破片が散らばっていました。  三日間、私は外に出ませんでした。何かをする気力もなく、時計の音だけを書いて過ごしました。こうしているときにも詩織と寺内さんが電話で話しているのだ。そう考えると胸が焼き付くような気持ちになりました。  今はもう、あの子のことを許しています。詩織は悪気があって彼を奪ったのではありません。好奇心から姉の彼氏を訪ねていって、つい、好きになってしまっただけなのです。  彼女は私に対して、常にフェアでした。  二月末日。私は決心して、マフラーを首に巻き、外へ出しました。行き先は、花屋の向かい側にある喫茶店でした。  私が店内に入ると、店長のおじさんが「三日も来なかったから、心配したよ」よ言って窓際の席を指差しました。店内は混んでいましたが、私のために店長はその席を空けていてくださっていました。  私はコーヒーを注文して窓の向こうに目をやりました。通りを挟んだ花屋の奥で寺内さんが働いていました。一時間ほど彼の働いている姿を眺《なが》めた後、私は電話をかけました。花屋から客がいなくなり、彼の手が空いているときでした。寺内さんはポケットから携帯電話を取り出すと、店の横の路地へ駆けていきました。 「もしもし?」  彼の姿がみえなくなると、私の携帯電話から声が聞こえてきました。 「今、電話しても大丈夫ですか?」 「仕事中だから、手短にね」  私たちはそれから他愛のない会話をしました。 「音楽活動の方は、順調ですか?」 「今度、録音したテープを送りますね」 「東京で作った曲を、早く聞きたいです」  それから寺内さんは、上京というものが人間の人生そのものに似ているという話しをしました。つまり、親元を離れて東京に出てくることが、この世界に生まれ落ちることの相似形だというのです。  私はぼんやりとその話しを聞いていました。  楽しいふりをすることができなかったので、私に元気のないことが彼へ伝わってしまいました。 「何か悩み事でもあるんですか?」  寺内さんが聞きました。客の外をゆっくりと白色の粒が横切りました。いつのまにか雪がちらつきはじめていました。道行く人は厚く服を着込んでいました。コーヒーに口をつけるとすでに冷めていました。 「他に好きな女性がいますよね?」  私は彼に聞き返しました。 「それは妹の詩織ですよね?」  喫茶店内は込み合っており、楽しそうな声で満ち溢《あふ》れていましたが、携帯電話の向こうで彼は沈黙していました。 「寺内さん……」  私がそういうと、彼は自分の気持ちを話し始めました。ひとつひとつの彼の言葉から、彼の真摯《しんし》さと良心の呵責《かしゃく》を感じました。  もしも今、泣いてすがりついたら私を選んでくれるのだろうか。  そう思いましたが、私に残された最後のプライドで許しませんでした。  涙をこらえながら花屋を見ました。客が店員の姿を探していました。ビルの立ち並んでいる東京の空に、無数の雪片が舞っていました。 「雪がきれいですね」  私は彼に言いました。 「雪、そっちでも降ってるんですね。東京でも降ってますよ」  彼はそう答えました。  その言葉の意味を理解したとき、こらえていた涙があふれてきました。 「詩織から聞いていないんですね……」 「え、何をです?」  彼は本心から問いかけているようでした。  詩織は寺内さんと交流を持っていました。しかし彼女は、私が上京していることを彼に対して一言ももらしていませんでした。  彼女がフェアだと書いたのはそういう理由からでした。寺内さんは東京に行きましたが、彼女は故郷に残り続けたのです。詩織もまた、私と同じように悲しかったことでしょう。私が彼を追いかけて行ったとき、彼女はどのような気持ちで見送ったのでしょうか。彼との関係をうまく続けていくため、私が依頼した数々の作業を、詩織は嫌がることなく行なってくれました。  それにひきかえ、私は彼の心変わりが心配で東京にまで来てしまいました。私の行動は見苦しいものでした。私は寺内さんのことを心から信じることができなかったのでしょう。東京に行ってしまったら彼が変わってしまうと、私は思い込んでいました。私がそのようだから、きっと寺内さんも詩織を選んだのでしょう。詩織は、私に協力して、なおかつ相手を信じられるような人なのですから。  喫茶店から電話をかけたその日、雪の降る電車を眺めながら私は彼に言いました。 「私もあなたが好きでした。それを覚えていてください」 「ええ、忘れません」  寺内さんの返事を聞いて、私は電話を切りました。窓に目を向けると、店に戻ってくる寺内さんが見えました。私は伝票を持ってレジに向かいました。喫茶店の店長に代金を支払いました。 「なぜ泣いているんですか?」と店長に聞かれました。 「もうこの店に来られなくなったからです。今までありがとうございました」と私は笑顔を作って答えました。  家に帰ったとき私を出迎えてくれたのは、しおれている観葉植物でした。私のような余裕のない人間が、何かを育てられるはずがないのだ。枯らしてしまうのなら、寂しいからといって植物を買ってはいけないのだ。植物を前にしてそう思いました。  翌朝、私はカレンダーをめくりました。しおれた植物をしばらく見つめてから、病院に行く決心を固めました。  診察の後で手術日を決定しました。手術のための同意書は他人の筆跡を真似《まね》て書きました。この世に存在しない男性の名前と住所を書いて、その人を私の子供の父親という事にしました。病院側はわざわざ相手の事まで調べない、という噂《うわさ》を以前に聞いたことがありました。  子供ができたことに気づいたのは、クリスマス・イヴでした。私に状況の決意をさせた真の理由は、妊娠検査薬の結果でした。寺内さんが私のことを選んでいたなら、私は産んでいたかもしれない。  お母さん、今まで黙っていて申し訳なく思います。私はお腹の子供のことについてだれにも話しをしませんでした。もしも中絶するとしたら、だれにも迷惑をかけることなく、自分ひとりで処理したいと思っていました。  子供が体内からいなくなると、私は体の奥にむなしさを感じました。まるで体の中心が空洞になったかのようでした。子供は遠くに行ってしまったのだと、私は全身で思いました。  胎児は十二週目でもう性別が現れるのだということを、お母さんはご存じですか。お医者様の話によると、私の子供は女の子だったそうです。  手術をしたその日のうちに病院をでることができました。看護婦に見送られて外へ出てみると、空は晴れていました。温《あたた》かい日差しが体を包み、私はふと東京観光をしてみようと思いました。  上京して以来、東京の町をゆっくり眺めたことはありませんでした。私は六本木ヒルズの展望台に行き、渋谷の町を歩きました。観光している間、東京を舞台にした小説や映画を思い出しました。ソフィア・コッポラの映画に出てきたスクランブル交差点で、私は大勢の人とすれ違いました。  なんと多くの人が東京にはいるのだろう。故郷を遠く離れて生活している人は、この中にはどれだけいるのだろう。私は交差点の人ごみを歩きながら、上京して良かったなあと思いました。  新宿を歩いているとき、見晴らしのいいところから高層ビル群を眺めたくなって、雑居ビルの屋上へ行きました。上から見下ろすと、地上を歩いている人が小さく見えました。  冬が終わりに近づいているのを、風の中に感じました。私はふと思いました。今日、今すぐにここから飛び降りてみたら気持ちいいだろうな。  今なら、お母さんの喪失感を理解できます。今のお母さんの心は、きっと、中絶した胎児のことを考える私の心と同じなのでしょうね。  お母さん、本当に迷惑をかけてしまいました。最後までみっともない娘でごめんなさい。あわてて遠くに行ってしまってごめんなさい。子供の事を私は後悔しています。  誰にも知られなかったということが、自分の突発的な行動のせいで裏目に出てしまいました。  最後になりましたが、私は、次の言葉を伝えるために手紙を書きました。  詩織に、責任を感じる必要はないのだということを伝えてください。  それからもうひとつ。お母さん、遠くへ行ってしまった私の娘のために、小さなお墓を作ってあげてください。 ■■END■■